今も各所に当時の面影が残る
八王子から町田を経て横浜港へと続く通称「浜街道」は、別名「絹の道」とも呼ばれています。明治時代、良質の生糸を海外に出荷する商人たちが往来し、原町田周辺は大いに賑わいました。ギリシャ・トロイ遺跡の発掘者として知られるシュリーマンも、幕末に通ったという日本のミニ・シルクロード。養蚕業で栄えた当時の面影を求めて、その一部を紹介します。
案内は、町田市観光コンベンション協会のまちだ観光案内人、荒井仁さんと山本進さんです。
■絹の道碑
生糸集積地であった八王子と、開港地横浜を結ぶ中継点である町田市原町田は、山と海の産物が取引される「二・六の市」の開催地として発展、現在の原町田商店街の基礎となりました。原町田中央通り、町田商工会議所前に、二・六の市の碑があります。
現在、原町田中央通りと栄通りには、同会議所が作成した「絹の道中央通り」「絹の道栄通り」の通り名プレートで表示されています。
小田急町田駅東口側のカリヨン広場にある碑は、1983年に原町田誕生400年を記念して建てられたもの。「絹乃道」の文字と、向かって右に「此方はちおうじ」左に「此方よこはま」と彫られています。
■木曽~常盤~小山
絹の道は現在の町田街道に沿って延びています。町田街道が開通するまでは、この道が、生活物資を各地へ運ぶ主なルート。1859年の横浜開港後は、地域の養蚕業を活気付かせるために重要な役割を果たしました。
実際にたどってみると、木曽、根岸、常盤、馬場、小山と、車が行き交う大通りから、左右にそれてはまた合流する狭い道が何本もあり、養蚕信仰を物語る神社や由緒ある寺、石碑等も多く、絹の道の風情が今も各所に残っています。
今回ゴールに決めたのは、多摩境駅に程近い札次神社。境内の一角に、子孫繁栄、養蚕信仰を祈願する子種石(蚕種石)が祭られています。
絹の道という呼び名は、実は1945年ごろに付けられたそうですが、当時の道は、そのまま郷土の歴史を探るルートとなっているようです。